福井地方裁判所 平成16年3月17日判決 判例時報1882号99頁
(争点)
担当医師が気道確保に関する注意義務に反したか否か
(事案)
X1及びX2の長男であるA(手術当時5歳1ヶ月)には睡眠中に数秒間呼吸停止を繰り返す症状が見られたため、平成8年12月24日、AはX1(母親)にともなわれて国(Y)の開設する国立Y病院(以下、Y病院という)耳鼻科外来を受診した。
担当のO医師は、X1に対して、Aの症状はアデノイド(咽頭扁桃)増殖症(疑い)、両側扁桃肥大及び両側慢性扁桃炎による可能性が高く、アデノイド切除術及び両側口蓋扁桃切除術により改善できる可能性がある旨説明した。
翌平成9年1月22日、AがY病院で術前検査を受けたところ、アデノイド増殖症であることが確認され、同年2月3日、Aは手術目的でY病院耳鼻科に入院した。
翌2月4日午後1時、執刀医をO医師、麻酔医をH医師(K大学附属病院からY病院へ派遣されている麻酔科医で、麻酔科医としての経験は、全身麻酔約300例、そのうち12歳以下の小児が約200例であった)として、Aに対してアデノイド切除術及び両側口蓋扁桃切除術(以下、本件手術という)が開始された。
午後1時、Aに全身麻酔が施され、H医師が内径5.0mmのスパイラルチューブを気管内挿管した後、同日午後1時35分ころ、O医師の執刀により手術が開始された。手術は順調に行われ、同日午後2時25分ころ終了した。
同日午後2時30分ころ、Aに体動があり、自発呼吸も出現した。H医師は筋弛緩剤の拮抗を行った後、喉頭鏡により喉頭周囲を観察し、綿球の除去忘れ、出血のないことを確認し、吸引チューブにより吸引を行い、Aの体動が著しく、自発の呼吸も十分であったため、午後2時40分ころ、気管チューブを抜去した。
抜管後、Aは啼泣し、陥没呼吸が見られた。H医師はマスクによる補助式換気を開始したが、換気が十分行えなかった。O医師がファイバースコープによる咽喉頭検査を実施したところ、鼻孔及び咽頭には呼吸障害となるような異物はなく喉頭蓋に浮腫が認められた。Aは、エアウェイ挿入下によるマスク換気にもかかわらず、陥没呼吸が著明となり、両肺野にラ音(ラッセル音)が聴取され、腹部が膨満してきた。
そのため、同日午後2時50分ころ、再度気管内挿管することにし、H医師は内径5.0mmのスタンダードチューブにて再挿管を試みた(以下、再挿管という)が声門下までチューブを挿入できなかったため挿管操作を中止し、同日午後2時55分ころ、サクシンを静注し、H医師は内径4.5mmのスタンダードチューブにて挿管を試みた(以下、再々挿管という)が挿入できなかったため挿管を中止し、セボフレン投与を中断した。
その後、マスク換気を続けたが、上気道の閉塞が強くなり改善が期待できず、SpO2が60%台にまで低下したためH医師は、緊急気管切開を決定し、マスク換気を続けながら午後3時5分ころからO医師及びT外科医長により気管切開術を行い、午後3時20分ころ終了した。
気管切開が終了するころ、Aは、低酸素血症と高二酸化炭素血のため、心拍数が低下し始め、午後3時25分ころ心停止し、直ちに心臓マッサージやボスミン等の薬剤が投与された。午後3時40分ころカウンターショックが行われたが反応がなく、その後、2度カウンターショックを行ったところ、午後3時50分ころ、心拍が再開した。その後も意識は戻らなかったため、午後6時14分、K大学付属病院集中治療部に転送され、蘇生後低酸素症、昏睡状態、循環虚脱と診断されて入院した。Aは、その後意識を回復しないまま、平成10年7月9日、K大学附属病院において、心肺停止蘇生後、多臓器不全により死亡した。
Aの両親は、病院の設置者である国(Y)に対して、主位的に不法行為に基づき、予備的に診療契約上の債務不履行に基づき、損害賠償を求めた。
(損害賠償請求)
遺族(両親)の請求額:計8145万8124円
(内訳:逸失利益3976万8124円+慰謝料3000万円(患者の慰謝料2000万円+遺族固有の慰謝料2名計1000万円)+葬儀費用120万円+近親者付添費用309万円+弁護士費用740万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:計6910万7262円
(内訳:逸失利益2881万7262円+慰謝料3000万円(患者の慰謝料2000万円+遺族固有の慰謝料2名計1000万円)+葬儀費用120万円+近親者付添費用309万円+弁護士費用600万円)
(裁判所の判断)
担当医師が気道確保に関する注意義務に反したか否か
裁判所は、 抜管後の上気道閉塞の原因として考えられるのは(1)喉頭痙攣、(2)気管支痙攣、(3)舌根沈下、(4)咽・喉頭部の分泌物、凝血、異物(義歯、綿球、ガーゼ等)、(5)声門下、喉頭蓋、咽・喉頭部の浮腫、(6)扁桃腺肥大などであるところ、少なくとも、喉頭ファイバーの検査により、舌根沈下、異物の可能性は消去されるから、残る主な原因としては、咽頭浮腫と喉頭痙攣であると判示しました。
国(Y)は、麻酔科医として、本件事故当時、抜管直後に急速に増悪する喉頭浮腫を予見することは不可能であった旨主張し、H医師(本件麻酔医)も同様の供述をし、証人のU医師、B医師も同様の見解であるとしました。
その上で、裁判所は、確かに、医学文献には、喉頭浮腫の症状の出現は、抜管の1ないし2時間後という記載がなされており、Z医師も麻酔科医として立ち会った小児の扁桃摘出術1500例のうち、喉頭浮腫により短時間で気道の完全閉塞に陥った症例は2例経験したにすぎず、その割合は約0.13%であるから、かかる事態はまれであるといえると判示しました。
しかしながら、裁判所は、他方で、本件事故前に、抜管後に短時間で喉頭浮腫により上気道閉塞が生じ、再挿管をした症例が文献で紹介され、しかも研修医向けの文献に紹介されていること、生命・身体を預かる医師には高度の注意義務が課せられるところ、医療現場においては、生じ得る可能性が相当低い事態にも備えて準備がなされていること(現に、U医師は、5万例に1回くらいの頻度(0.002%)で起こる悪性高熱のために、特効薬であるダントロレンを常備していると供述している。)に鑑みれば、当時の医学水準上、麻酔科医としては、抜管直後に急速に増悪する喉頭浮腫があり得ることを予見し、それに対処する注意義務があると認めるのが相当であるとしました。
また、裁判所は、抜管後短期間に増悪する喉頭浮腫がまれであるとしても、当時のAの状態は、エアウェイ挿入下で純酸素をマスクバックにより投与しながらも、抜管後約5分後の酸素飽和度の値は、チアノーゼ症状が出現するとされる80%台であり、約10分後には静脈血と同程度の70%という危機的な状態であったから、麻酔科医としては、上気道閉塞の原因が喉頭痙攣か喉頭浮腫かの鑑別ができなくても、迅速かつ確実に気道確保をする注意義務があったといえるとしました。
そして、裁判所は、前示の酸素飽和度の数値からすると、早急に気道確保をする必要があり、気管切開には挿管までに時間を要し、しかも小児の気管切開には危険を伴うため、麻酔科医としては、第一次的には気管内挿管によって迅速かつ確実に気道を確保する注意義務があるとしました。
そして、裁判所は、午後2時50分ころ、H医師が手術中に用いた内径5.0mmのスパイラルチューブよりも外径が約2.0mm細い内径5.0mmのスタンダードチューブを用いて再挿管したが、挿管できなかったため、挿管を中断しているが、麻酔科医としては、早急な気道確保のために挿管を中断することなくより細いチューブを用いて気管内挿管を繰り返すべきであったと判断し、また、より細いチューブを選択して挿管操作を続けていれば、気管内挿管をすることが可能であったと認めるのが相当であると判示しました。
裁判所は、したがって、H医師が、再挿管時に、内径5.0mmのスタンダードチューブで挿管できなかった時点で、挿管を中断したことについては、過失があると認定しました。
裁判所は、加えて、再々挿管の時点においては、挿管時の失敗により上気道閉塞の原因が声門付近の閉塞であること、その進行は相当急速であること及び現時点でも酸素飽和度の値が危機的な状態のまま推移していたことから、再挿管時にも増して早急に気道確保をする必要があったといえ、これに加えて、気管内挿管ができないとすると気管切開によるほかないが、その場合には準備を含めて最終的に気道を確保するまでにさらに時間を要することを考えると、麻酔科医としては、上気道閉塞が今後も進行し、気管内挿管が物理的に不可能になる事態に備えて、気管内挿管を確実に成功させるべき適切な措置を講じる注意義務があったというべきであり、具体的には、再々挿管時において、再挿管時よりも気道の閉塞が進行していることを考慮し、相当細いチューブを用い、あるいは、異なる大きさのチューブを用意して成功するまで次々にチューブを取り替えて挿管を試行するなどの措置を講じる注意義務があったと判示しました。
しかし、H医師は、再々挿管時において、4.5mmのスタンダードチューブにより一回挿管をした後挿管操作を中断しているとして、裁判所は、H医師には上記の注意義務に反した過失があると認定しました。
そして、裁判所は、再挿管時は、上気道閉塞症状が出現してから約10分後、酸素飽和度が70%台になってから約5分後であり、再々挿管時は、上気道閉塞症状が出現してから約15分後、酸素飽和度が70%台になってから約10分後であること、5歳の男児で3.5mmのチューブでも救命できた症例があること、3.0mmのチューブでも酸素を送り込むことは可能であることを総合すれば、H医師の前記過失がなければ、気管内挿管が成功し、Aの救命が可能であったと認めるのが相当であるから、前記の過失とAの低酸素血症による死亡との間には因果関係があるといえるとしました。
裁判所は、国(Y)は、国家賠償法1条に基づき、本件事故により生じた損害を賠償する義務を負うと判断しました。
以上から、裁判所は上記「裁判所の認容額」の範囲で、X1及びX2の請求を認めました。その後、判決は確定しました。